第二章 産業・交通通信 第一三節 道路の建設と整備261-262
新修 江府町史
第二章 産業・交通通信 第一三節 道路の建設と整備 地域高規格江府道路 平成六年(一九九四)一二月、建設省は、高速道路並みとする地域高規格道路建設の第一次計画路線を発表したが、その中に、米子自動車道江府インターから、広島県三次(みよし)市の中国縦貫道三次インターまでをつなぐ「江府三次道路」九〇キロメートルが含まれていた。 この道路は全国の幹線道路と連絡して、広い地域の交流開発を図る四車線の道で
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第二章 産業・交通通信 第一三節 道路の建設と整備261-262
第二章 産業・交通通信 第一三節 道路の建設と整備 地域高規格江府道路 平成六年(一九九四)一二月、建設省は、高速道路並みとする地域高規格道路建設の第一次計画路線を発表したが、その中に、米子自動車道江府インターから、広島県三次(みよし)市の中国縦貫道三次インターまでをつなぐ「江府三次道路」九〇キロメートルが含まれていた。 この道路は全国の幹線道路と連絡して、広い地域の交流開発を図る四車線の道で
第二章 産業・交通通信 第一八節 農道の改良281-285
第二章 産業・交通通信 第一八節 農道の改良 低い補助金 新江府町発足の昭和二八年(一九五三)から昭和三〇年代までの農道改修は、全町にわたって二七工区、総延長二万四八三八メートルにわたって実施された。この総事業費は三九四二万円であったが、このうち、新農村特別助成、積雪寒冷単作地帯振興土地改良事業、小団地開発事業など、国・県からの補助金の率は二〇%にすぎなかったので、町財政の負担は大きかった。
第二章 産業・交通通信 第一一節 新川平発電所256-258
第二章 産業・交通通信 第一一節 新川平発電所 写真 一旦えん堤 発電取水口 昭和四八年(一九七三)の石油危機をうけて、国内エネルギー資源の見直しを図る電源開発調整会が昭和五一年に開かれたが、この基本計画案のなかに、中国電力が調査中であった新川平発電所が、緊急開発の候補地点として選ばれた。 これは既設の大正八年(一九一九)に建設された出力一〇〇〇キロワットの江尾発電所を生かしながら、新たに
第一章 政治 第一一節 同和問題対策181-188
第一章 政治 第一一節 同和問題対策 同和問題 現代社会は、かつて部落差別に象徴されるさまざまな未解決の差別問題を温存してきていた。しかし、大正一一年(一九二二)に創立をみた全国水平社運動以来の、組織的な部落解放運動等の積み重ねと国民の人権意識の高まりが、昭和三六年(一九六一)にいたって国を動かすこととなった。 昭和三六年(一九六一)一二月七日、時の総理大臣は同和対策審議会に対し、「同和地区
第二章 産業・交通通信 第五節 農業政策と村づくり213-223
第二章 産業・交通通信 第五節 農業政策と村づくり うるおいのある村づくり事業 終戦後、食料不足の時代には活気のあった農村も、時代の推移とともに高齢化が進み、また国の減反政策もあって耕作面積は漸減し、加えて多大な労力を必要とする育牛も衰退しだしたので、国は農村活性化を図る施策を打ち出してきた。 貝田集落 貝田集落は、江府町のほぼ中央部にあり、中山間地帯の台地にある戸数四五戸、人口一九一人(
第二章 産業・交通通信 第八節 電源立地交付金事業
第二章 産業・交通通信 第八節 電源立地交付金事業 江府町は昭和五五年(一九八〇)に俣野川発電所の建設が認められて、一一億五二〇〇万円の交付金による事業額を受けることになった。この交付金とは昭和四九年度に成立した電源三法(電源開発促進法・電源開発促進対策・特別会計法・発電用施設周辺地域整備法)によって、発電所の建設で安定した電気の供給をうける便宜性の利益を、一部発電地帯周辺地域住民の生活環境向
第二章 産業・交通通信 第九節 商業
第二章 産業・交通通信 第九節 商業 藩政期の商業 江府町の江尾宿は、藩政期から在郷の町として農村経済の中心地であり、店商いを営むことも許されていた。特に旧二月一五日の彼岸市ともよばれた涅槃(ねはん)市は、盆、太歳(おおとし)前の節季市とともに、近郷をはじめ、米子・生山からも業者、買い物客が集まり、農具の売買などでにぎわった。 明治期の商業 明治初年になると商業の自由化が図られ、以前の特権
第二章 産業・交通通信 第三節 米の生産調整203-205
第二章 産業・交通通信 第三節 米の生産調整 写真 育苗センター(佐川) 生産調整と稲作転換期 昭和四六〜昭和五〇年度 この時期は稲作の反収増加と、国民の米消費量の減少による米の過剰問題に対応するため、休耕を中心とする生産抑制に重点がおかれた。そのため、減反を実施した耕地には作物の指定をせず、減収分を補償する意味合いで休耕に奨励金を出し、また政府も買い入れ米の予約量に限度をおいた。 育苗セ
第二章 産業・交通通信 第一節 農業189-198
第二章 産業・交通通信 第二章 産業・交通通信 第一節 農業 簡易索道事業 江府町は以前から牛馬の飼育が盛んであったが、集落の多くは近くの山地に飼料を求めた。むら人はその日の飼料を刈りに未明から山路を急ぎ、刈草を背負い出したがその苦労は大きかった。この苦労解消のため、山の採草地とむらを結ぶ索道設備を江府町で早くから計画したのは洲河崎と俣野深山口であった。 洲河崎上口集落の計画は、通称空山(
第二章 産業・交通通信 第二節 農業と農協の経営199-202
第二章 産業・交通通信 第二節 農業と農協の経営 旧村農協の発足 農業協同組合は、昭和二二年(一九四七)の農業協同組合法の公布により、翌昭和二三年には米沢・江尾・神奈川・日光農協が相次いで発足した。その目的は、農民の社会的地位の向上と福利厚生、それに戦時協力体制を脱した自主的農業経営の確立であった。 江府町農協の成立 これらの各地区農協は、旧村合併による江府町成立後、一〇年を経過した昭和三