第四章 池田家領知下の伯西部 第三節 大山寺の寺領支配
江府町史
第四章 池田家領知下の伯西部 第三節 大山寺の寺領支配 大山寺領の人口 大山寺領の人口は、宝暦一二年(一七六二)には、一山・寺領を合わせて三、八九一人でその内訳は次のとおりである。 伯州大山寺一山(大河原吉川家文書) 一、人数六拾三人 内 僧五拾八人 俗 壱人 宮仕 四人 大山領 汗入郡之内五箇村 一、人数三百三拾壱人 内 男百七拾六人 坊領村
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第四章 池田家領知下の伯西部 第三節 大山寺の寺領支配
第四章 池田家領知下の伯西部 第三節 大山寺の寺領支配 大山寺領の人口 大山寺領の人口は、宝暦一二年(一七六二)には、一山・寺領を合わせて三、八九一人でその内訳は次のとおりである。 伯州大山寺一山(大河原吉川家文書) 一、人数六拾三人 内 僧五拾八人 俗 壱人 宮仕 四人 大山領 汗入郡之内五箇村 一、人数三百三拾壱人 内 男百七拾六人 坊領村
第四章 池田家領知下の伯西部 第四節 農民の負担と農民統制
第四章 池田家領知下の伯西部 第四節 農民の負担と農民統制 年貢の納入で投身自殺 人口の八割以上を占める農民からの収奪により成り立っていたのが江戸時代の社会である。農民は身分としては武士の次に位し、工商の上でありながら、厳しい収奪のため生活は最下位であった。 熊本藩の農民について書かれた『仁助咄(にすけばなし)』から、不作のため年貢納入に苦しむ農民の姿を、現代文に直して引用してみよう。 一
第四章 池田家領知下の伯西部 第九節 在郷町の発展と商品流通
第四章 池田家領知下の伯西部 第九節 在郷町の発展と商品流通 在郷町の江尾宿 鳥取藩の領内は町と在中に大別され、そのうち町というのは鳥取・米子・倉吉である。そのほか松崎・八橋・浦富・黒坂を町に準ずる地域とし、これ以外はすべて在中といった。特に鳥取・倉吉・米子は東中西各地区の中心都市として、経済の中心となっていた。農村部いわゆる在中は、自給自足を建て前と出来るだけ簡素な生活をさせようとした。しか
2024年11月
3000人の楽しい町 町報 こうふ KOFU 2024 11月 No.644 江府町 NEWS 動画で見てみよう! 写真 秋の大山(令和6年10月25日撮影)
第二章 原始・太古の生活 第二節 江府の古代文化の特徴
第二章 原始・古代の生活 第二節 江府の古代文化の特徴 武庫の里の誕生 七一〇年(和銅三年)都が奈良に遷された時から、七九四年(延暦一三年)平安京に移るまでの八四年間を、ふつう奈良時代と呼ぶが、本町史では大化の改新(六四五年)にさかのぼる六五年間と更に聖徳太子の摂政(五九三年)にさかのぼる五二年を加えてざっと二〇〇年間を一括して奈良時代の項にまとめたい。いわゆる飛鳥・白鳳・奈良の三時期をとりあ
第一章 江府町の位置と自然の環境 第二節 複雑な地層の生んだ豊富な動植物
第一章 江府町の位置と自然の環境 第二節 複雑な地層の生んだ豊富な動植物 中国山地系と大山火山系 人間活動は自然環境と密接な関係をもつものである。現在地表面にあらわれている岩石地盤は、長い地球の歴史で、浸食と堆積という地形変化を経て、人間の活動舞台になっている。 地質図を一見すると、溝口町の基盤岩石は単純(花崗岩と火山岩類)であるが、江府町の岩石分布は複雑で、その特色を把握することは容易でない
第四章 池田家領知下の伯西部 第一節 鳥取藩の成立と藩政の確立
第四章 池田家領知下の伯西部 第一節 鳥取藩の成立と藩制の確立 戦乱から統一へ 応仁の乱以降約一世紀にわたる戦乱の世も、織田信長・豊臣秀吉により、ようやく収拾されていった。この間、伯耆の地は山名・尼子・毛利氏と支配者がかわり、特に尼子・毛利両氏の抗争は激しいものであった。この勢力争いにまきこまれた地方豪族や庶民の姿は、今日十分明らかにすることは難しい。『陰徳太平記』の不動ガ岳の戦いや江美の戦
第二章 原始・太古の生活 第一節 無土器文化から古墳時代まで
第二章 原始・古代の生活 第一節 無土器文化から古墳文化まで ローム層の中の生活 昭和二四年ころ以前にも、日本列島に数万年前に人間の住んだ可能性をいった人もなかったわけではない。しかし、それは一般には認められることなく、原始文化は縄文時代に始まるものということが定説化していた。 しかし、相沢忠洋の群馬県岩宿遺跡の発見以来、日本にも縄文文化以前に、土器を伴わない石器時代があったことが明らかとな
第一章 江府町の位置と自然の環境 第一節 大山の制南麓を占める平和な町
第一章 江府町の位置と自然の環境 第一節 大山の西南麓を占める平和な町 七つの町村に囲まれる 鳥取県は東西に長く、これを東部・中部・西部に三分して考察することが多い。地形の上では明瞭な境界は認められないが、鳥取県の三大河川と呼ばれる千代川・天神川・日野川が、それぞれの地域の中心部をつくりあげている。東部には鳥取市を中心に岩美郡・八頭郡・気高郡があり、中部は倉吉市と東伯郡、西部は米子市を中心に境
第三章 江美城創建前後の江府町 第一節 鎌倉時代から戦国の争乱まで
第三章 江美城創建前後の江府町 第一節 鎌倉時代から戦国の争乱まで 長谷部信連の配流 治承四年(一一八〇)、以仁王の令旨により挙兵した源頼政は、宇治で敗死した。この時、以仁王につかえていた長谷部信連は平氏に捕えられて、日野町下榎に配流された。この時の状況を『日野郡史』は、 信連治承中高倉宮以仁王に候す。源三位頼政、宮を勧めて大事を挙げ、一敗地に塗るるに曁(およ)んで信連絡に討手の為に虜となり