第五章 明治百年の歩み 第三節 大正期の町村制
江府町史
第五章 明治百年の歩み 第三節 大正期の町村制 新しい町村制 図表 明治四四年四月、町村制が改正公布され、同時に明治二一年公布の市制・町村制が廃止された。改正の主な点は、町村の法人性と権能負担の範囲を明らかにしたこと、議員の半数改選制を改めて、任期四年で全員改選としたことなどがあり、このほか行政監督・財務規定の整備などがあった。 この改正点の中に町村の区域の確定があったが、大正三年八月四日
第五章 明治百年の歩み 第三節 大正期の町村制
第五章 明治百年の歩み 第三節 大正期の町村制 新しい町村制 図表 明治四四年四月、町村制が改正公布され、同時に明治二一年公布の市制・町村制が廃止された。改正の主な点は、町村の法人性と権能負担の範囲を明らかにしたこと、議員の半数改選制を改めて、任期四年で全員改選としたことなどがあり、このほか行政監督・財務規定の整備などがあった。 この改正点の中に町村の区域の確定があったが、大正三年八月四日
第五章 明治百年の歩み 第一節 明治の初期
第五章 明治百年の歩み 第一節 明治の初期 明治維新の胎動 慶応四年二月、山陰道鎮撫使西園寺公望総督は鳥取をへて米子に到着した。錦の御旗と共に、明治維新が訪れたのである。草深い日野の里にもその報は伝えられたが、天朝様を知る人々は少なく、五月に結成された新国隊に加った郷土の若者(近世篇参照)たちが、わずかに新時代の到来を肌で感じたぐらいであろう。 明治二年版籍奉還、四年廃藩置県と、明治維新政府
第五章 明治百年の歩み 第八節 井上町政の第一期
第五章 明治百年の歩み 第八節 井上町政の第一期 町長・町議の改選 三六年七月一日、町長・町議会議員の選挙が行われたが、町長には県教育委員の井上健治(神奈川)が立候補、無投票で当選した。 町議会議員には定員一八人に対し立候補者は二一人あったが、新人は五人に過ぎなかった。当日の有権者は四、二九九人で町内一九か所で投票が行われた。 前日の六月三〇日から、山陰地方には集中豪雨が襲い、このため溝口
第四章 池田家領知下の伯西部 第一二節 明治維新と農民
第四章 池田家領知下の伯西部 第一二節 明治維新と農民 藩の財政改革 嘉永三年(一八五〇)五月、一一代藩主池田慶栄は、初入国の途中、伏見で病死する。慶栄のあとは、幕府の命令で、水戸藩主徳川斉昭の五男昭徳(のち慶徳と改名)が養子に入り、一二代藩主となった。 慶徳が新藩主になったころには、鳥取藩でも多額の藩債をかかえ、藩財政はすっかり行き詰まっていた。藩財政の行き詰まりばかりでなく、藩政そのもの
第四章 池田家領知下の伯西部 第七節 鉄山師の活躍
第四章 池田家領知下の伯西部 第七節 鉄山師の活躍 たたら製鉄地域の形成 絵 たたらの図(安来市和鋼記念館蔵) 古来日本の鉄は、東北地方、北上山地の一部における岩鉄の利用を除き、ほとんど中国山地の砂鉄を原料とした、たたら製鉄によっていた。そして、近代に入っても近代製鉄とならんで行われたが、一九二〇〜二三年ごろ、第一次世界大戦後の恐慌期にいたって消滅した。 江戸時代には産額、比重の大小こそあ
第四章 池田家領知下の伯西部 第二節 大山寺領の成立と鳥取藩
第四章 池田家領知下の伯西部 第二節 大山寺領の成立と鳥取藩 寺領安堵の朱印状を請う 戦国時代に入ると、多くの寺院がそうであったように大山寺もその勢力を急速に失い、近隣の諸大名とせりあって寺領の確保に苦心したらしい。慶長五年(一六○○)、関ガ原の役に東軍が圧勝し、徳川家康の覇権がきまる。そして、家康は慶長五年から七年にかけて西軍大名の領地を没収、譜代大名の創出、その他の大名の配置替えを行った。
第四章 池田家領知下の伯西部 第五節 新田開発と山論・水論
第四章 池田家領知下の伯西部 第五節 新田開発と山論・水論 農業技術の改良は農民の努力で 幕府や諸藩の財政収入のほとんどが、農民の負担する貢租であったから、幕府・諸藩は耕地の拡大と農業技術の向上に力を注いだ。 『日野郡史』は、日野郡地方の近世農業について「田地の耕は上代より風くも牛耕を主とし、口部は馬耕を交へたるものゝ如し。明治維新前の農法は頗る幼稚にして、上代より伝わる農法を伝統的に墨守する
第四章 池田家領知下の伯西部 第一〇節 大山寺と作州越え
第四章 池田家領知下の伯西部 第一〇節 大山寺と作州越え 写真 柿原尻の日野川にある橋台跡 脇街道の日野川東岸 日野郡を通る街道の中心となったのは、出雲街道(上方往来)である。石見、出雲、隠岐、及び西伯耆から上方へ行く街道であり、松江・母里・広瀬の藩侯はもちろん、京阪神へ行く者は主としてこの街道を利用した。出雲街道は、米子車尾から溝口へ入り、ここから川舟で対岸の宇代へ渡り、三部・二部を通って
第四章 池田家領知下の伯西部 第八節 災害飢饉と一揆
第四章 池田家領知下の伯西部 第八節 災害飢饉と一揆 災害と飢饉 古来怖いものの代表として「地震・雷・火事・親父」といわれる。世界でも有数の地震国日本、その中でも白山火山帯の通っている鳥取は、江戸時代の記録をみても、しばしば地震に見舞われ、大災害に苦しんでいる。また、木と紙で出来ている日本家屋は一度火災になると大火事になり易い。台風や洪水の被害も日本の地理的な位置のためしばしば起きた。その上、
第四章 池田家領知下の伯西部 第六節 木地師の来往
第四章 池田家領知下の伯西部 第六節 木地師の来住 木地師の仕事 山村の生活には、狩猟を主たる生業とするもの、林業を主たる生業とするもの、更に焼畑や切畑の経済に依存するものなどがあり、それぞれが独特の生産技術や慣行・信仰をもっていた。この地方の山村では林業を主たる生業とするものが多いが、中でも特徴のあるのは「木地屋」である。 木地屋は、いうまでもなく、山中の木を伐って、ろくろを使用し、椀・盆